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毎日の食卓が、いちばんの薬になる——食育講演会レポート
催し名:食育講演会「健康は毎日の食卓から」
開催日:2026年6月2日(火)
会場でまず配られたのは、前日に何を食べたかを書き出す一枚の紙でした。「これは記憶力のテストではありません」と、講師は最初に断ります。話を聞き終えて家に帰り、もう一度その紙を眺めたときに、自分の食卓がどう見えるか。そのための紙だといいます。園の食育に十二年間関わってきた人の、最初の一手がこれでした。
続いて投げかけられたのは、「あなたの健康のバロメーターはどこにありますか」という問い。会場からは「病気をしないこと」「普段通りの生活が滞りなくできること」といった答えが返ります。ただ、こうした場でもっとも多く返ってくるのは「数値」なのだそうです。健康診断の血液検査の値。数字で示されると、私たちはどうしても納得してしまう。
そこで示されたのは、東洋医学が古くから用いてきた、まったく別の物差しでした。夜すっと眠りに入れるか。朝、目覚ましが鳴る少し前に自然と目が覚めるか。人に対して穏やかでいられるか。何かあったときに「やってやろう」と思えるか。どれも数値化できませんが、確かに毎日測れるものです。数値を否定するのではなく、それだけでは足りないのではないか、という提案でした。
話の中心に置かれたのは「食性」という考え方です。動物にはそれぞれ本来食べるべきものの割合があり、人間の場合、その手がかりは歯の数にあるといいます。大人の歯は三十二本。野菜や果物を噛み切る前歯が八本、穀物をすりつぶす奥歯が二十本、魚や肉を引きちぎる犬歯が四本。比率にすれば、穀物五、野菜二、肉魚一。現代の食卓はおかずが多くご飯が少ない——つまりこの比率が逆立ちしている、というわけです。
季節の話も具体的でした。湿気の多い梅雨には、体を乾いた状態に保つために、ひじきや切り干し大根といった乾物を摂る。塩だけで漬けた梅干しを一粒、食卓に置く。砂糖を使わない小豆を炊く。シャワーで済ませず湯船に浸かる。そして夏は、酸味と水気。ここで話は、この日の核心へ向かいます。
和食と洋食の朝ごはんを並べてみる。ご飯、味噌汁、焼き魚、大根おろし、納豆。片やパン、スープ、卵料理、ウインナー、サラダ、チーズ。決定的な違いはどこにあるか——油と水です。洋食にはバターやドレッシングという形で油が行き渡り、水気がほとんどない。和食は逆に、米を水で炊き、汁物に水を張り、野菜を茹で、大根をおろす。和食とは「水を食べる」食事なのだ、と。だからペットボトルの水をあおらなくても、代謝に必要な水分は食事から入ってくる。湿度の高い島国で暮らしてきた人々の、身体に合わせた設計だったのかもしれません。
繰り返し出てきた言葉があります。「食事を作る人は、家庭の薬局長です」。責任を負わせる言葉のようにも聞こえますが、語り口はむしろ軽やかでした。完璧でなくていい、ときには外食もしていい、六割でいい、と。
質疑応答では、迎えのときのおやつ、サプリメント、牛乳、果物と、生活の細部が次々に持ち込まれました。返ってくるのは正解ではなく、「毎日ではない、を少しずつ教えていく」といった、家庭の側で調整できる余地を残す答え方です。
ここで語られていたのは、栄養の知識というより、暮らしをどう組み立てるかという文化の話だったのだと思います。園の給食で麦ご飯が炊かれ、その理由が保護者と共有され、それぞれの台所へ持ち帰られる。子どもの育ちの場で積み重ねられた知見が、家庭の日常に降りていき、やがて次の世代の身体をつくっていく。食卓は、家庭がもっとも日常的に文化をつくり直せる場所なのかもしれません。
本イベントはパドマ幼稚園主催にて開催されました。
https://www.padoma.ne.jp/entrance/open_to_the_public/
