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2026/7/21

「教えない社会」で、子どもは育つ——むぬトーク vol.6 レポート


催し名:むぬトーク vol.6「狩猟採集社会にみる、子育ての人類学」

開催日:2026年7月22日(水)


大人が子どもに「教える」ということを、ほとんどしない社会がある——。7月22日、應典院を会場に、生と死にまつわる問いを分かち合う対話の場「むぬトーク」の第6回が開かれました。ゲストは、アフリカ南部・カラハリ砂漠周辺の狩猟採集社会を30年にわたり調査してきた人類学者。今回の切り口は「子育て」です。遠い社会の暮らしを通して、私たちが当たり前と思っている子育てや教育の枠組みを照らし直す時間になりました。

紹介された子育ての風景は、驚きに満ちています。母親は3〜4年ものあいだ子どもと密着し、授乳と抱っこを続ける。やがて次の子が生まれると、子どもは母の手を離れ、3歳から10代半ばまでが入り混じる「多年齢の子ども集団」へと居場所を移していく。そこで繰り広げられるのは、歌と踊り、そして「まねっこ」。誰かが教えるわけでも、カリキュラムがあるわけでもないのに、子どもたちは互いの行為をまね、相手の意図を読み取り、ときに替え歌をつくって遊びながら、その社会の文化を自分のものにしていくのだといいます。

印象的なのは、歌や踊りが持つ「参加のしやすさ」についての指摘でした。挨拶や質問のような日常会話は、体や認知の力に差が大きい相手とはなかなか成り立ちません。けれど、みんなで進行していく歌や踊りなら、小さな子も途中から輪に加われる。年長の子は幼い子を邪険にせず、むしろ輪の中心に迎えて面白がる。少し遅れても、いちいち説明されなくても、流れに少しずつ体を合わせていくうちに、参加の度合いが自然と深まっていく。「教える/教わる」という関係を取らないまま、あそびそのものが学びの場になっている光景です。

学校のような制度を持たない社会では、こうしたあそびが、文化を次の世代へ引き継ぐ役割を担ってきた——という見立ても示されました。一方で、その暮らし自体がいま、土地の囲い込みや学校教育の導入によって大きく揺らいでいるという現実も語られます。あそびを軸にした社会化と、近代の学校教育。ふたつのシステムがせめぎ合う場所に立つ子どもたちの姿は、遠い砂漠の話にとどまらず、同年齢で区切られた教室に慣れた私たちの社会への問いにもなっていました。

年齢の異なる子どもたちが混ざり合い、教え合うともなく学び合う。その光景は、かつてこのまち一帯に息づいていた寺子屋の風景とも、どこか重なって見えます。実際、会場からは幼児教育に携わる参加者の質問も飛び、初等教育より前の段階に年齢幅のある交流の場をつくれれば、いまの教育を補えるのではないか、という展望も共有されました。

もうひとつ、対話の終盤で語られた文化観も示唆に富むものでした。「日本は恥の文化」とよく言われますが、親子の日常会話を実際に観察すると、親は「日本文化」を意識してなどいない。挨拶ができた、できなかったという小さなやりとりの積み重ねが、あとから振り返れば「文化」と呼ばれるパターンになっていく——。文化とは上から与えられるものではなく、家庭の日々の営みの中から立ち上がってくるもの。子どもの育ちが家庭の文化を育み、それが地域へと広がっていくという循環を、人類学の視点から裏づけてもらったような対話でした。

「教える」ことをいったん脇に置いたとき、子どもの学びには何が見えてくるのか。あそびの中で育つ力を、私たちの暮らしのどこに取り戻せるのか。カラハリの子どもたちの歌声は、私たち自身の子育てと教育への問いとして、いまも響いているように思います。

#詳細報告へのリンク案内

本イベントは應典院「あそびの精舎」の主催で開催されました。当日のより詳しい様子は、以下の詳細レポートをご覧ください。

https://note.com/asobi_outenin/n/n7e6498d76e2f